お墓職人紹介


強引な売り込みは一切いたしません。

(売り込まれたい方はどうぞ他社様へ。売り込みしたくないんです。)


「先祖供養こそ最高の人間教育」と説き、
日本人の心とお墓を直す世直し職人。


矢田敏起(やた としき)

お墓職人矢田敏起

矢田敏起 愛知県岡崎市生れ。

自衛隊最精鋭の第一空挺団で精神肉体を鍛え上げ任務を遂行。
家業である石屋になるために、有名石材店で修業。
さらに腕を磨くため為、葬儀会社の下請けとして二千を超えるお墓を無償でメンテナンス。

空地に自らコンテナを改造して墓石販売を始める。
頑丈なお墓づくりが認められ、NHKをはじめテレビ局数社に取り上げられる。
墓石への地震対策技術をかわれ、歴史的石造物への地震対策補修に数多く携わる。
その中には、宮本武蔵が沢庵禅師に剣の極意を教わったことで有名な、京都大徳寺大仙院の歴代住職のお墓補修、重要文化財奈良県額安寺の宝篋印塔への免震補修、世界遺産でもある、同じく奈良県元興寺の石燈籠の免震補修など、その活躍の範囲は愛知県にとどまらない。

若者を弟子に取り、お墓づくりを通じての家族の絆、先祖供養の大切さを伝える活動に命を捧げる。


お施主様にいつでも見に来てもらえるように仕事をしています。

矢田宜文(やた よしふみ)

お墓職人矢田宜文

矢田宜文 昭和54年生まれ岡崎市出身。幼少の3歳で母を病気で亡くす。

小さい頃から父、兄の背中を追いかけて育つが、家業を継ぐ前に、自分自身の力を試すため、高校時代は競艇選手を目指して体を鍛え続ける。
しかし高校卒業後、視力が低下。
競艇選手の夢はついえる。

その後、修行のため建築専門の大手石材店で様々な石材加工を体得。
さらに建築物の構造を学ぶため工務店で修業。

その後、矢田石材店に加わり、毎年100基以上のお墓づくりに携わる。
自分たちの仕事に責任を持つため、お墓完成後のメンテナンスを継続的に行い、経年で起こりえる石材の傷みや、結合部の不具合などを常に研究、改善することを生きがいとしている。
頑丈なお墓をつくることが信念。


お墓をきれいにすることはだれにも負けません。

竹中琢哉(たけなか たくや)

お墓職人竹中琢哉

お墓職人竹中琢哉 四日市市出身。幼少のころは、親の仕事のため各地を転々と生活。
小学生の頃、岡崎市に移り住み、現在に至る。

学生時代、社会人時代は一貫しておとなしい性格のため、仲間内でも目立たない存在であったが、真面目な性分と仕事において妥協しない姿勢をかわれ、矢田石材店に入社。
主に、すでにあるお墓を直したり、きれいにするお墓リフォーム、クリーニング担当。

お施主様と同じ目線でお墓を大切にし、人それぞれの状況、希望に合わせた提案を行うと定評。
お施主さま以上にお墓を大切にする職人として、矢田石材店ユーザーの間では一番の人気者。


石の特性、墓地の特徴に合わせてお墓をデザインしています。

榊原茂樹(さかきばら しげき)

お墓職人榊原茂樹

お墓職人榊原茂樹 岡崎市出身。

美術大学デザイン科卒業後、建築設計事務所で建造物の設計、デザインに携わる。
その後、自動車部品メーカーで内装部品の設計を経て、自動車用バッテリーモジュールの開発を行い、現在の籍は矢田石材店。

このようにお墓とは関係のない経歴が続くが、実は大学在籍時からお墓のデザイン設計を行い続け、そのデザイン総数は数百に及ぶ。
机上の空論でお墓デザインをつくりたくないと、自らも石を削って叩く、お墓職人として石材加工も行う。

お墓デザインの根本的な信念は「祈りの対象」であるということ。
奇抜でカラフルなお墓が乱立する近代の墓地に警鐘を鳴らす、新しくも古い考えを持つ、新進のお墓デザイン職人。


最高の職人たちが腕を振るえるようサポートしています。

矢田吏映(やた りえ)

お墓職人の妻

お墓職人の妻矢田吏映岡崎市出身。2児の母。

父親が転勤族のため、生まれは岡崎市だが幼少時は東京で過ごす。
小学生高学年時に急激に背が伸びはじめ、卒業時には担任教師を追い越すほどに。
類まれな体格を期待され、様々な運動部にスカウトされるも、ひざ関節を痛め運動嫌いに。

短大卒業後、金融関係の仕事につき、その経験を生かして、子育てをしながらではあるが、矢田石材店の経理を任される。
お墓づくりは男社会の職人仕事なので、ちょっとした心遣いや気配りができるように、職人たちを陰で支える女将さん的存在。


お墓を建て終えてから、数年後でも感謝される事に驚いています。

三島志帆(みしま しほ)

お墓職人三島志帆

岡崎市出身。

主な業務はお墓の設計や、お施主様への資料づくり。
日本石材産業協会認定の「お墓ディレクター」でもあり、お墓に関する事前の電話相談では、お施主様からの満足度ナンバー1。

また、お墓完成後の納骨や法要に関するアドバイスについては、地域性、宗派ごとに事例を蓄積し、相談内容にあわせてお施主様それぞれに最適な情報を提供。
悩みの多いお墓をつくる方にとって、その優しい語り口調で救われたというお施主さまは意外と多い。


誇りある仕事を先祖から受け継ぎ、伝承できる喜び。

矢田勝己(やた かつみ)

お墓職人矢田勝己

お墓職人矢田勝己 矢田石材店2代目。

「矢田石材店は、私の父、金次が昭和30年に興した石屋です。
実は、金次以前も、矢田家は代々石工の家系で、定住しない流れ石屋のはしくれでした。
石工はもともと移動の多い職業で、古くは戦国の世、築城のため各地を転々とし、城をつくっては移動、また城をつくっては移動するという生活を続けていました。

しかし、江戸時代になり世の中が平和になると、城をつくるという仕事はだんだんと必要とされなくなり、石工の仕事は石仏や石灯籠をつくることに変わってゆきました。
私たちの祖先もそんな石工のひとりだったのでしょう。
そしてこの岡崎という地に流れ着き、岡崎の石に魅せられ、この地で石を叩き続けていたのだと思われます。

私がこの矢田石材店を継いだとき、私はまだ大学生でした。
父金次が急な病に倒れ、53歳の若さでこの世を去りました。
父は本当に動けなくなるその時まで、毎日お寺に通い、自分が建てたお施主様のお墓を、力の入らない腕で磨き続けていました。
今の矢田石材店の原点は、この死ぬまでお墓を磨き続けた初代・金次の背中にあったのかもしれません。

お墓をつくる技術的なことは、年を重ねれば追いついてきます。
しかし、このお墓を大切にするという心は、年を重ねるごとに慢心が起こります。

私たちの世代は戦後、がむしゃらに生きてきました。
日本人が本来持っている、何か大切なものを失ってしまったかもしれません。
まだ間に合います。
次の世代に伝え、そして守らなければなりません。

合掌


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