わかりにくいお墓価格を徹底解明 New
お墓工事情報 New
有名石造物への地震対策 New
![]() きょうは、矢田石材店責任者の矢田敏起が、お墓への思い、感謝の気持ちを、第3者からのインタビューにお答えする形で語りたいと思います。 どうぞお時間の許すかぎり、お読みいただけましたら幸いです。 (聞き手:カスタマワイズ 本間聖子)
― こんにちは。きょうはよろしくお願いします。それではまず最初に、矢田石材店のあらましをご紹介いただけますか。
祖父は、近所のお寺から仕事をもらって、自宅の庭で石を削っていました。今とちがってすべてが手作業ですから、大変だったと思います。 祖父の代が終わり、父親が継いでからは、矢田石材店は卸売り専門になりました。石屋さん相手に高級な石を売って、工場を建て、商売は好調だったのですが…。 手を広げようとして新しく入れた機械の借金が、返せなくなってしまったのです。 競売にかけられ、矢田家はすべてを失いました。 そして、僕が三代目となりました。27歳のときです。
― すべてを失ったところで三代目に…。いったいどうやってスタートしたのですか。 毎日ひとりで墓地へ出かけて、お施主さんのお墓をだまって掃除してまわりました。それしか、できませんでした。 妻には大変な苦労をかけることになりました。子供もいましたし、「なんとかしなければ」という思いだけでお墓へ向かう日々…。そのうちに、お墓参りにきた人が、僕の姿を見て「石屋さん、なにやってるの?」と声をかけてくれるようになりました。無料でお墓を洗ってあげたり、墓石の傾きをなおしてあげたりもしました。 やがて「お墓を建ててほしい」というお施主様が現れて、ぽつぽつと仕事がもらえるようになっていきました。 この生活は、2年ほど続きました。すくなくとも1000基のお墓を洗ったと思います。 ― 仕事がもらえるようになったとは言え、それまでの2年間は、いわば先の見えない生活…。どうして続けることができたのですか。 もちろん妻の支えあってのことですが、代々続いてきた墓石屋のせがれとして、借金を作ったまま逃げるのがどうしてもイヤだったんです。一度足をつっこんだ以上、自分の運命や現実と向き合って、がむしゃらにやろう。そう決めました。 とは言え、精神論だけではなく、「絶対にいける」という自信もありました。 ― その自信の根拠はなんでしたか。 お墓に対する考え方ですね。 当時の墓石業界はむちゃくちゃでした。いろんな同業者を見てきましたが、かねがね「あの人たちは間違ってる」と思っていました。
― 矢田さんが見てきた当時の墓石業界は、いったいなにが間違っていたのでしょうか。 とにかく、ウソとごまかしが横行していました。 外国産の安物石を、日本のブランド石と偽って販売したり、お客さんの足元をみて値段を決めたり。 修行時代に入ったある石材店では、基礎も打たずにお墓を建てていました。僕が基礎の準備をしはじめたところ、いきなり怒鳴られたんです。「基礎なんか打つんじゃない! 打ったふりだけしとけばいいんだ!」と。 これが、過去の墓石業界では当たり前のことでした。 この人たちはおかしい、とにかく早く一人前になって誠実な墓石屋をやろう。そう思っていました。 お墓洗いの生活をしているときに、葬儀屋の知人ができました。信頼できる葬儀屋でしたし、その伝手で順調に僕の仕事も回るようになり、ようやく店を持ちました。 ― 現在の矢田石材店のはじまりですね。 いえ、実はそれが…。軌道に乗りはじめた4年目に、立ち退きを迫られたんです。やっと地域になじんできた頃でしたから、大きな痛手でしたね。 まあでも、いろんな経験をさせてもらったおかげで、今があると思っています。 築き上げたものをまた失ってしまい、仕方なく、空き地にコンテナを置いてお墓の展示室をつくりました。現在の矢田石材店ができあがりました。 ![]()
― それでは、矢田敏起さんご本人にせまっていきたいと思います。矢田さんは、ご自身を「お墓職人」と名乗っていらっしゃいますが、そもそもお墓職人とはなんですか。 正式には「お墓を愛している職人」です。 業界には「石職人」という言葉がありますが、これは「石を加工できる人」という意味です。僕は、これをお墓と結びつけるのがイヤでした。だって「石が加工できるから、お墓をつくる」という意味になってしまう。 ちがうんです。「お墓を愛しているから、墓石をつくる」。それがお墓職人なんです。 僕は、お墓を愛する証拠に、墓石屋が世の中から消えてもいいとすら思っています。 ― 「墓石屋が世の中から消えてもいい」? どうしてですか。 墓石屋が、墓石を売る。それを買って、供養する。これが当たり前ですよね。 でも、考えてみてください。そもそもお墓は、墓石屋が生み出したものではありません。墓石屋が現れるずっと前から、この地球上にあったものです。 石がお墓になるのではなく、故人を供養するための場所がお墓なんです。ですから、もしお墓がなくても供養できるなら、僕たちのような存在は消えるべきだと思います。 こういう考え方でお墓に向かうのが、矢田石材店のお墓職人です。 ― なるほど。矢田さんの、お墓への思いの深さがすこしわかってきました。
― 「もしお墓がなくても供養できるなら、墓石屋は消えるべき」とお話しいただきました。それでもやはり、人はお墓を建てます。なぜだと思いますか。 お墓は、死んだ人とのつながりをなくさないためのものだからです。 こんな話があります。「川に散骨してほしい」という遺言をのこして亡くなったお父さんがいました。ご家族は、お父さんのために、毎年命日になると川に骨を流しにいきました。でも、5年目、残りすくなくなった骨を見て、全員がその場で泣き崩れたというのです。「お父さんが全部なくなっちゃうのはいやだ…耐えられない」と。 そして、ご家族は、改めてお墓を建てました。 人間は弱い生き物です。愛する人が死んでしまったとき、せめて「物」として、その人を思い描けるものが必要になる。お墓は、人が人であるために必要なものなのだと思います。 僕も、そのように実感した体験があります。
― 矢田さんご自身の体験について、お聞かせください。 僕には生みの母と、育ての母がいます。ふたりとも死にました。とくに育ての母が死んだときは、現実を受け入れられず、お墓ができても足を運びませんでした。お墓へ行ったら、母を思い出してしまう。それはつらい。だから逃げたんです。 でも、そんな自分は間違っていると思うようになりました。そもそもお墓は、死んだ母を思い出すためのものだからです。 死の悲しみはいつか癒えます。でもそれは同時に、僕の心のなかから母が消えてしまうということでもありました。母を消してはいけない。いつまでも逃げていないで、きちんと母の死と向き合うべきだと思いました。 僕は、お墓へ行き、手を合わせました。そして、母の死によって、僕が大きなプレゼントをもらったことに気がついたんです。
― 矢田さんは、お母様の死によって、どんなプレゼントをもらったのでしょう。
母に感謝しました。そして、その母を生んだ母や、たくさんの先祖にも感謝できました。それからは「高校生になりました」「自衛隊にいってきます」など、お墓の前で報告するようになりました。 この一連の出来事で、僕は、その後の人生でも「逃げてはいけない」という信念をつらぬくことになりました。三代目を継いだ頃、先の見えない2年間のお墓洗い生活を乗り切った原動力でもあります。 お墓があってよかったと思いますし、お墓は、いつでもそこにあるべきものなんだ、と心から思います。 僕は、お墓参りが子供たちにとっての一番の教育になるとも思っています。
― お墓参りが子供たちの一番の教育に? くわしくお聞かせください。 お墓参りをして、先祖供養することは、「そこに先祖がいる」とイメージすることでもあります。僕も、母がそこにいると思うから、折にふれて近況報告をしています。報告できないような、はずかしいことはしたくありません。だから一生懸命に生きます。 人は、誰も見ていないから、悪いことができます。 でも、いつも先祖が見ていると思えば、悪いことをするまえに、手が止まるはず。 お墓参りで、そこに先祖がいる、としっかりイメージできれば、悪いことをする子供はいなくなるんじゃないでしょうか? 昔は大家族でした。どこかで、大人が子供を見ていたものです。でもいまは、親子も兄弟も分断されて、家族がばらばら。子供を見ているものがいません。正しい心を持った子供に育てるためにも、ぜひ、お墓参りに連れて行く習慣をつけてほしいと思います。 ![]()
― 矢田石材店は、どのような姿勢でお墓づくりに取り組んでいますか。 上の、「矢田石材店の掟」という十の項目をご覧ください。 ここには、先ほどまでにお話しさせていただいた、誠実な墓石屋であること、お墓職人としてのあり方、お墓への思いなどがすべてこめられています。 ― 十の掟にしたがって、具体的にはどのような取り組みをしているのですか。 まず、お施主様に矢田石材店のお墓への考え方を真剣にお話しします。ここで賛同していただけない場合は、お墓づくりをお断りしています。 たとえば、値段だけを気にして、くらべるような方には、僕たちはお墓をつくれません。そんな表面的なお墓づくりは、供養にならないからです。 そして、矢田石材店のつくるお墓について、工法や材質などをよく説明します。そのためにつくったのが、お墓体験工場です。
お墓についての疑問にお答えする場所です。建ててしまってからではわからない構造や耐震性について、実際にさわったり、動かしたりして確認できます。 ― なぜそこまでしてお墓を説明するのですか。 お墓について、もっとよく知って、納得してからつくっていただきたいからです。 お墓は一生に一度の買い物です。ですから「はじめてで、なにもわからない」というのが当たり前です。しかし、残念ながら、そのようなお施主様の「わからない」が闇雲にされがちなのが、墓石業界です。 とにかく言われるままにお墓を建ててしまう。よくわからないけど、建ったのだから良し、としてしまう…。 一生、そのお墓に手を合わせることになるのに、墓石屋に流されて買っている場合ではありません。 故人のために、故人を思い出しながら、ご家族みなさんでじっくりとお墓をつくりあげていただきたい。その過程こそが、最大の供養だと私は思っています。
― 矢田石材店の特徴はアフターサービスです。「10年保障」とは書かれていますが、実際には保障の切れたお墓も、掃除されているそうですね。なぜそこまでするのですか。 初代お墓職人である祖父の影響です。 祖父は、糖尿病をわずらっていましたが、毎日のように自分の建てたお墓をまわって、きれいに磨いていました。父によると、死ぬ直前にも、よろよろの体でお寺へ出向き、「せがれを頼む」と言いながらお墓を磨いていたそうです。 すげえじじいだな、と思いました。 僕には、死ぬまでお墓を磨きつづけた職人の血が流れている。だったら、10年などと言わず、自分の建てたお墓は一生面倒を見る。そう決めたんです。 ― とは言え、そんなことを続けていけば、将来はものすごい数のお墓になってしまいますが…。 それでもやりますよ。そんなことしている墓石屋、いないでしょう? それだけ、お墓を愛しているんです。 これまでに、多くのお墓を建ててきた矢田さん。お施主様との印象的なエピソードを、お話しいただきます。
そのお施主様は、20代後半の男性でした。 ご依頼は、お父さんのお墓。でも、打ち合わせは奥さんにまかせきりで、ご本人はただ座っているだけでした。いかにも若者らしい、興味のないそぶりです。 ところが、「よくある形の墓石だけではなく、オリジナルのお墓もできますよ」というご案内をすると、急に姿勢が変わりました。積極的に話に参加してくださるようになったのです。 「親父の大好きだった犬と桜を彫りたい。僕は車のレースをやっているので、それも取り入れてほしい」 奥さんに代わって主導権を握り、どんどんアイデアをお話しくださいます。親父はこんなものが好きだった、あんなこともあって楽しかった。そんな思い出話が飛び交い、お施主様の表情がどんどんやわらかくなっていきました。 「僕には母親がいません。親父が大事に育ててくれました。だから親父のために、親父の好きなものをたくさん使ったお墓をたててあげたいんです」 お墓づくりを通して、父子の強い絆がかいまみられた心温まるお時間でした。
若い世代のなかには、ご自分のお家の宗派も檀那寺も知らないという人が増えています。お葬式そのものに出たことがない、という人もいるほど。 こんなお施主様が現れました。 「実家はなくなっている。本家はどこだかわからない。先祖のお墓のことを知っている人はみんな死んでしまっている」 お父さんが亡くなったのですが、とにかく、情報源がなにもないのです。親戚もおらず、なんと、家紋すらわからない、と。 「なんかの本に、家紋は好きなデザインを選んでつけてもいいって書いてあったので…これをつけたいんですけど」 びっくりしました。そんなのは最後の手段です、とにかくお父さんの情報をもうすこし探してくださいとお願いしました。 お施主様は、数少ない知人を頼って、お父さんの実家があった石川県へ行かれたそうです。そして、たどりにたどって、親戚と思われる方を探し出し、ついに、家紋を見つけて帰ってこられたのです。 その時にお聞きしたお土産話が印象的でした。 「親父が田舎にいるとき、どんな風だったかって話をたくさん聞くことができました。それまでは、『親父は田舎を捨てたやつ』って斜に構えて見てたんですけど、イメージがかわりましたよ。いい墓を建ててやりたいです」
僕は、お墓づくりには、故人を知る、なるべくたくさんの方に参加していただくようにお願いしています。ひとりでも多くの方が、それぞれの故人との思い出をふりかえり、故人を思うこと。それがなによりの供養になると思うからです。 しかし、たくさんの方が集まると、必ず意見が割れます。故人への思いが強ければ強いほど、その割れ方も大きくなるもの…。こんな大変なこともありました。 お父さんが亡くなられたのをきっかけに、息子さんがお墓を建てかえることになりました。ご家族でしっかりと話し合い、設計はできあがったのですが、このお墓に猛反対しているご親戚がいらっしゃいました。町の権力者でもある、叔父さんでした。 叔父さんには信頼する石屋があるということで、僕たちはなかなか認めてもらえなかったのです。しかし、いくら話し合ってもまったく拉致があかない。不本意ながら、最後は強行突破することになってしまいました。 工事の日、墓地へ行くと、その叔父さんが僕たちのまえに現れました。 「お前らなにしにきとんじゃ」 「お前らどこの石屋じゃ!」 「俺はゆるさんぞ!」 しかし、お施主様の依頼を受けているからには、ひるむわけにはいきません。「許可はいただいています」とだけ言って、淡々と作業に入りました。 しかし、工事中もいちいち声をかけられる。 「なにやっとんだ、なんのための作業じゃ」 「なんちゅう石だ、どこでとれた石なんだ」 その日は、基礎を打って作業を終えました。すると、保護用のブルーシートを勝手にはがして、中をのぞく。見られて困るような仕事は一切していませんから、黙っていましたが、あきれました。ところが…。 納骨の日。どんなぶっちょう面で現れるのかと思いきや、叔父さんは笑顔でした。そして、集まったみなさんにこう言ったんです。 「この墓は、岡崎の矢田さんが作ってくれただ。やあ、いい墓じゃ」 工事を見ているうちに、僕たちのお墓づくりを認めてくださったというのです。胸が熱くなりました。結局、うるさかった叔父さんも、意固地になった僕も、お墓に対する強い思いは、同じでした。 その後も、叔父さんには何度も声をかけていただき、燈篭や石像の修理などをお手伝いさせていただいています。
若いご姉弟がいらっしゃしました。建てるのはお母さんのお墓。お父さんが近所の石屋さんで見積もりをとったそうですが、ずいぶんな高額で…というご相談でした。 息子さんは、とにかくお父さんのことが嫌いなようで、言いたい放題。 「親父、あいつ、アホだから。わかってねえんだよ。バカみたいな墓石屋に頼みやがって」 お姉さんからお話を聞くと、お父さんと息子さんは犬猿の仲。もう何年もまともに会話すらしていないのだそうです。 「親父なんかどうでもいいんだ。でも、お袋が入るんだから、変な墓建てられたらたまんねえから」 お話を聞いていくと、お父さんと息子さんの間で、建てたいお墓の理想が違っていることもわかりました。お父さんは、昔ながらの和型のごく普通のお墓がよかった。でも、息子さんは洋風のお墓が建てたくて、矢田石材店にいらしたのです。 「うちで洋風のお墓はつくれます。でも、それではお父さんが反対するかもしれませんね」 ご家族のみなさんが、納得してお墓を建てることが大切だと思っていますので、きちんとお父さんと話をしてくださいね、とお話ししました。 後日、「父は、私たちにまかせると言っています」とのこと。そして、息子さんが中心となり、お姉さんとふたりで、お墓の設計を進めました。息子さんとケンカになるのがわかっているのか、お父さんはほとんど話し合いに参加しませんでした。 そしていよいよ、工事がはじまりました。基礎を打ちはじめたところで、ふらっとお父さんが墓地に現れたのです。けれど、近寄ってこないし、話しかける雰囲気でもない。私は、心配になりました。そこで、お姉さんに電話しました。 「お父さんは本当に納得してるんですか? もし、親子の意見が割れてるなら、このままお墓を建てるのは問題がありますよ」 「いいえ、父は『いよいよお墓の工事だよな』って楽しみにしてましたよ」 腑に落ちない思いでしたが、お墓は完成しました。 納骨の日は、大雨でした。 いよいよお母さんがお墓に納まったその瞬間、それまで息子と口もきかなかったお父さんが、突然涙を流してこうおっしゃったんです。 「息子が、あいつが、お金を全部出して、母さんのお墓を建ててくれたんだ…あいつが、お墓を建ててくれると思わんかった」 お墓ってすごい。そう思った瞬間でした。
― すばらしいお話をありがとうございました。お墓にまつわるエピソードは、感動的なものばかりですね。
僕も、お墓職人としてお墓づくりにたずさわることで、たくさん感動して、成長しました。お施主様に育てられたようなものです。 ― それでは、最後にこのページをお読みのみなさんへ、メッセージをお願いします。 僕、みなさんに絶対にやってほしくないことがあるんです。 それは、生前にご自分でお墓の準備をすることです。遺影を撮ったり、デザインしたり、お墓を実際に建ててしまったり…なかには生前葬なんて馬鹿げたことをやってしまう人もいますが、僕は絶対に反対です。 そんなことをしてしまったら、残された家族がかわいそうです。葬儀やお墓は、死者を弔うためのものだけではありません。残された人が、死んだ人への感謝の気持ちを形で表したい、というものでもあるんですから。 僕は、たくさんのお施主様とふれあいました。みなさん、故人に対する「なにかしてあげたい」という強い思いがあるから、一生懸命、お葬式やお墓づくりに関わっていきます。 たとえば、残された若いお施主様は、なにもわからないところからはじまって、悩みながら、葛藤しながらお墓を建てていきます。でも、出来上がっていくまでの過程で、気づくんです。故人への愛や、故人から残された家族への愛。それがあるから、苦しいんだ、ということに。 だから、死んだあとのことまで考えずに、生きろよ。そう言いたい。 僕は、死後のことは、なにも望みません。子供たちを信頼しているからです。 親が死ぬというのは、子供にしてあげられる、最後の成長のプレゼントです。 だから、「オヤジ、むちゃくちゃやりやがって」ってぐらい、泥臭くいきたいですね。それを子供たちがクリアすることによって、なにかを得てくれるはずです。どんなお墓をつくってもらえるのか、楽しみです。 昭和50年ごろ、岡崎天満宮にて、父撮影 ※ 取材日時 2009年9月 ※ 取材制作:カスタマワイズ |